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幻蒼ネットワーク
なんとなく戯言(2006年08月)
2006/08/18
…昨日8月17日、うちの猫が天に召されてしまいました。

大阪の実家では3匹の猫を飼っていて、とら(♂)、はち(♀)、かりん(♀)といいます。
昨日の朝、携帯に母親から電話が。
出勤前で服を着替えているところだったので、最初は会社に着いてからこちらから連絡しようと思ったものの、よく考えるとこんな時間に電話なんて変だ。何かあったんじゃ…。もしや、かりんが…。
去年12月に書いたようにかりんは病気のうえに、高齢ということもあり正直もうあまり長くはもたないと思っていました。
ついに「そのとき」がきてしまったか、と折り返し(取る直前に切れてしまった)電話を入れると、なんと、かりんではなく、とらが…。

とらは雄猫ですが、性格は極めて穏やか。正直、もし俺が猫だったらこんな感じかもな、と思っていました。
3匹とも、つい10日ほど前に16歳になり、人間の年齢で考えれば、もうかなりの老齢です。
最近電話で家族に聞いた話では、俺が大阪を離れた半年の間に3匹ともあまり食事をしなくなり随分痩せたとのこと。
ある意味、どの猫も寿命が尽きてもおかしくない状況だし、まったく覚悟がなかったわけでもないのですが、あくまでもそれは頭の片隅にあるだけ。現実味などまるでありません。
しかも3匹の中ではとらが一番元気そうだと思っていました。
たった半年の間にこんなことになるなんて予想もしていないし、大阪を離れるときに最後に見たとらの姿、というのは全く覚えていなかったのです。

実は、今週の土曜日(19日)には、1週間の夏休みを利用して帰省するつもりでいました。
久しぶりにうちのバカ猫どもの顔を見れると本当に楽しみにしていたのに…。
かりんについては病気の件もあり、多分、これが最後になるかもしれないと覚悟もしていたものの、まさか、とらがいなくなってしまったなんて、あんまりです。

…出勤の電車に揺られながら、ぼんやりととらのことを考えていました。
しかし、どうも防衛本能が働くのか、思考が「そっちにいったらすごく悲しくて辛くなる」とばかりに深く考えることが出来ません。
電車を降りる頃には、なんとかショックも和らぎましたが、そうすると次に浮かぶのが母親のこと。
母親は本当に猫をかわいがっており、今かりんがなんとか生きていられるのも母のおかげなのです。
もちろん3匹それぞれを愛しているのでしょうが、特にとらのことが気に入っていて、とらも母親によく懐いていました。
それだけに、落ち込み、寝込んでなければいいのだけれど…。

会社に着きました。
正直、今日は一日ぼんやりとしていたい。
けれど、仕事が手に付かないというわけではなく、むしろ集中して取り組みました。
なるべく悲しいことは考えないようにしていたのでしょう。結局あんまり進まなかったけれど今日は仕方ない。
それでも、昼に6月頃携帯にメールしてもらったとらの写真をぼんやりながめていると、ゆっくりとじわじわと悲しさと涙がこみ上げてきました。


夜、帰宅してとりあえず寝ました。こういうときはとにかく寝てしまうのがいいのです。
23時前に家族からの電話があり1時間ほど話しました。
その後いつものようにネットをうろついて、そして今これを書いています。

たかが猫。されど猫。
16年も一緒に過ごした、非常に近しい存在。
俺よりもずっと後から生まれたのに、先に老衰(だと思います)でいなくなってしまった。
始めて家族を失った喪失感と、いまだ実感のない、多分怖くて触れられていない現実を前に、俺は…。
土曜日に帰省して、実家に帰ったらあらためてとらのいない寂しさを思い知るのだろうか。

最後にひとつ。
17日の朝、前日に見た天気予報で雨が降ると言っていたので傘を持って出ました。
曇り空の下を最寄りの駅まで徒歩で向かう途中、突然、結構な雨が降り始めました。
傘を差し、しばらく、そう、1分か2分歩いている内にさっとやんでしまいました。
…とらのために、神様も泣いてくれたのかもしれません。

ページ作成:蒼月 白羽
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